古事記 第23,24代天皇の話【顕宗天皇,仁賢天皇】

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 昨日、竹田恒泰先生の竹田研究会に行ってきた。

 今回の竹田研究会のお話は「古事記」と「憲法」のお話。

 私は理系であることもあって現代語になっている書籍を読んでも、読むだけではなかなか理解できず、竹田先生の解説があると理解が早まるので聞きに行って良かった。

 「古事記」は先生が現代語に直した書籍を元に少しずつ読み進めるというスタイルで今回は第23~25代天皇のお話だったが、古事記には第25代天皇 武烈天皇については左程詳しい話が書かれていなかったので第23,24代天皇について自分の理解したポイントをメモしておこうと思う。

こちらは単行本サイズ
現代語古事記: 決定版

文庫本としても出版されている。文庫本は「神話」と「天皇」のお話2つに分かれている。今回は下の「天皇の物語」の方のお話。
現代語古事記: 神々の物語 (学研M文庫)

現代語古事記 天皇の物語 (学研M文庫)

第23代天皇 顕宗天皇

 顕宗天皇と仁賢天皇は 市辺之忍歯王 の息子で、顕宗天皇は弟だ。顕宗天皇の父王、市辺之忍歯王は雄略天皇(第21代天皇、大長谷天皇)に殺され、顕宗天皇は雄略天皇をお恨みになられていた。しかし、雄略天皇は既にお亡くなりになられていたので顕宗天皇は雄略天皇の御陵(天皇のお墓)を破壊しようとした。そして、兄の意祁命(仁賢天皇)が実行したが、意祁命は少しだけ墓を削って帰ってきた。

 なぜ完全に破壊しなかったかというと、天下を治めた天皇の墓を完全に壊したら人々に非難されてしまうが、少しだけ破壊するという辱めは後世に示すことができるからだということだそうだ。そのことに対し、顕宗天皇は納得した。このことから天皇に仕える人たちは「天皇の言うことは絶対」ということではなく、天皇が間違ったことを仰られたら正しい根拠を示して正しい道に導いていかなければならないということが学びとれる。

第24代天皇 仁賢天皇

 顕宗天皇は子供がいなかったので、第24代は兄の意祁命が仁賢天皇として天下を治めることになった。仁賢天皇についてもっとも注目すべきところは父王を殺した雄略天皇の娘を娶ったことだ。雄略天皇の娘と結婚したのは、雄略天皇の系統が正統であるので仁賢天皇が正統な系統になるということや、仁賢天皇が雄略天皇の系統から皇位を簒奪したという風潮にならないようにするためだと考えられる。また、結婚することで系統が2つに分裂せず対立が生まれなくなる。

 天皇のお話以外に、憲法記念日が近いということもあって日本国憲法のお話もされていた。日本国憲法の公布における昭和天皇の逸話には目頭が熱くなった。日本国憲法が公布されるまでの過程を全く知らなかったので良い勉強になった。それにしても憲法学者が真っ赤っかだったのは知らなかった。下記のサイトにも詳しく書かれている。

参考サイト
ひだまり    今は古事記に夢中! 「 憲法学者というのは、そもそもが 左翼 ばっかり!」 

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